自然ー温暖な気候
かんきつ類の栽培には年平均気温15℃以上必要であり、冬に-5℃を下回る低温にさらされると深刻な霜害に見舞われます。小坂の年平均気温は16℃程度、1 月の最低気温平均は-4℃程度と見積もられ、いずれも栽培条件を満たしています。その背景には暖流の黒潮が影響しています。伊豆半島は太平洋に突き出しているので、西南東の三方から温められています。そのため日本列島では東部に位置していながら温和な気候に恵まれています。
自然ー水はけの良い土地
かんきつ類の栽培には水はけのいいことが重要です。水が不足すると、果肉に水分を蓄えて、おいしくなるのです。
小坂みかん園は葛城山の東斜面に広がっています。葛城山はかつてマグマの通り道だった「火山の根」が地表に姿を現したもの。「火山の根」は固くて浸食されにくい性質を持っています。
このため、30 ~ 40 度もある水はけのいい急斜面ができました。
自然ー豊かな陽射し
この地域では夏から秋にかけて降水量が少なく( 月降水量の平均は100 ~ 200 ㎜ )、逆に日照時間( 月日照時間の平均は150 ~ 200 時間) が長くなります。
急斜面であることも、どの樹にも日射がまんべんなく降り注ぐことを手助けします。たっぷりの陽の光が光合成を促進し、糖を蓄えます。
歴史ー狩野川台風
1958年9月26日、台風22号(狩野川台風)は伊豆半島に甚大な被害をもたらしました。小坂地区の田畑も狩野川の氾濫によって泥沼と化してしまいました。田畑を失った農民約60人は、マツ、クヌギなどの雑木が生い茂っていた共有地の葛城山東斜面開墾に活路を求めました。台風の災害復旧に使われた重機を山に入れて果樹園の段々を作りました。仕上げは人力に頼らざるを得ず、石混じりの急傾斜の開墾には大変な苦労を伴いました。1960年に愛知県から仕入れた苗木を植え付けました。
1985年頃の小坂共同農園
歴史ー観光農園への転換
1965年に初めての収穫を迎えることができました。ところが、3年後、全国的な生産過剰による価格暴落というピンチに見舞われました。小坂地区の農業者は生き残りをかけて観光農園への転換を目指すこととし、「日南1号」など早生種への改植を進めました。その結果、1970年に、みかん狩り農園として再出発し、現在では年間3万人の観光客が訪れています。
現在の小坂共同農園
歴史ー6次産業化の試み
現在では、観光農園だけでなく、地元の食品製造者にみかんを提供して二次加工するという6次産業化・農商工連携への試みが始まっています。
早生みかん